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「野菜の種、いまむかし」

第十回「ホウレンソウの話」

掲載誌『野菜だより』2010/新春号/P70,71
2009.12.16/学習研究社刊 \940.(税込)

 いままで「ホウレンソウはアカザ科の植物です」と言ってきたのに、これからは「ヒユ科の植物です」と言わなければなりません。DNA解析に基づく新しい植物分類学で、アカザ科が無くなり、ヒユ科に含まれてしまったのです。(大場秀章編著『植物分類表』2009年11月20日刊)ホウレンソウをアカザ科と表記してきた本は、すべて時代遅れになってしまいました。野菜が変わったわけでもないのに、科学が進むと野菜の所属が変わる。おもしろい時代です。
 ホウレンソウはイラン(ペルシャ)原産で、イスラム教徒が世界に広めました。中国には唐代に種が伝来し、北部の寒い地方で栽培され、トゲのある東洋系品種が成立します。英語spinachの語源であるラテン語のspinaは「トゲ」ですから、原種の時代からトゲがあったのでしょう。日本に入ってきたのは、江戸時代初期の1600年頃と言われていますから、驚くほど後の話です。

 江戸時代を通じて日本で栽培されてきたのは、「日本ほうれん草」一系統だけです。種は三角形で先端が針のようにとがり、よく指に刺さって痛い目にあってきました。ホウレンソウの種と言われているのは、実はリンゴの実と同じ果実で、本当の種は、その中に入っている丸くて小さな菜種大の粒です。この小さな本当の種が、ドライフルーツのような硬い殻を突き破って芽を出すわけですが、よっぽど殻が水分を含んで柔らかくならないと、突き破れません。それで江戸時代から「ホウレンソウは生えぬもの」(『農政全書』)と言われてきました。また暑さが大嫌いなホウレンソウは、温度が低くならないと発芽しません。ですから夏に入荷したホウレンソウの種を、うちでは一昼夜水に浸け、さらに濡れた布でくるんで、冷蔵庫に何日か置いて発芽試験をしています。冷蔵庫が無かった昔は、布袋に入れて水に浸けた種を、井戸の中に吊して冷して発芽させてからまいたそうです。
 よく「水に浸けてまいたのに芽が出ない」と言ってくる人がいますが、これは畑が乾いているからで、せっかく水分を含んで柔らかくなった殻が、土に水分を取られてまた干すばってしまい、冷水の刺激で芽を出す準備を始めた中の種が殻を突き破れずに成長を止められて死んでしまうためです。種を水に浸けたら、雨が充分降って畑に水分が行き渡るのを待ってから播種しましょう。

 明治になって、外国からさまざまな西洋系ホウレンソウが輸入されました。ホウレンソウは風媒花ですから、日本ほうれん草の近くにまかれた西洋ほうれん草は、花粉を飛ばして日本ほうれん草を雑種に変えます。こうして関東では「ミンスターランド」との間に「豊葉(ほうよう)」が生まれ、中部では「ホーランディア」との合いの子の「次郎丸」ができ、その次郎丸に戦時中熊沢三郎が中国から導入した「禹城(うじょう)」がかかって関西で生まれたのが「新日本」と言われています。東北で根の赤い系統を選抜して固定した「山形あかね」も、葉は丸葉に近くなっていますから、剣葉の日本ほうれん草となんらかの西洋品種との雑種だったのでしょう。
 在来種日本ほうれん草の特徴は、痛い針の種と、先がとがってギザギザ切れ込みがある薄い小さめの葉と、寒くなると地べたに張り付いて収穫しにくい草姿と、寒くなるほど糖分を貯えて甘味を増す赤い根と、アクの無いおひたしにして絶品のおいしさです。明治以後生まれた雑種系の固定種たちも、種はみな痛いトゲを持ち、日本ほうれん草譲りの味がありますが、うちのお客様に言わせると「豊葉もいいけれど、食べ比べると泥臭い。味で日本ほうれん草に勝る品種は無い」そうです。

 しかし、種苗業者の中には、これら針種すべてを「日本ほうれん草」と称し、中には西洋系の血のほうが濃いトゲ無し丸粒の交配種まで「日本ほうれん草」と表示して売っているものまであるようです。日本ほうれん草という一般名称には誰も権利を持っていませんから、誰がどんな種に付けても違法ではありませんが、品種という概念が崩れてしまうので、心ある種屋なら謹むべきではないでしょうか。
 手元に昭和16年秋の「タキイ種苗目録」がありますが、その中に「日本法蓮草」があり、「春蒔最適一代交配 立性厚肉大丸延葉」と書いてあるのを見てびっくりしました。どれも西洋ほうれん草の特徴ばかりだからです。もしかして世界初の東洋種と西洋種とのF1だったのかもしれませんが、「春蒔最適」と書いてあるのに、翌17年春のカタログからは消えています。前号で触れた幻のF1キャベツ「ステキ甘藍」同様、種苗統制の時代に合わず消えてしまったのでしょうか?
 ホウレンソウは雌雄異株の植物ですから、先に抽苔して花芽を伸ばす雄株を取り除く「除雄」作業をし、近くに花粉を提供する異品種を植えておけば、簡単にF1を作ることができます。こうして作られたF1品種が販売されだしたのは昭和30年代でした。千葉の「豊葉」と暑さに強い「禹城」とのF1「豊城」が最初だったようです。当時は「ホウレンソウは根が赤く味の良い東洋種に限る」という偏見(?)が強く、味が落ちる丸粒の西洋種はまだ市場で喜ばれなかったのです。

 この偏見をひっくり返し、現在の丸粒ばかりの西洋系F1時代の先駆けとなったのが昭和47年に発表された「アトラス」でした。指定産地制度で周年大量供給を要求された農村にとって、機械で播種でき、立性で収穫しやすく、肉厚大葉で多収の丸粒F1種は恩恵でした。そして大都市の大型化した市場や、続々誕生したスーパーマーケットは、「味より形の大量消費時代」の形成を促しました。
 現在、種苗会社のF1ホウレンソウの育種目標は、新たなべと病抵抗性品種ばかりです。味が落ち、栄養価が50年前の5分の1とか10分の1に下がっているのも、当然と言えば当然の結果でしょう。


『野菜だより』連載「野菜の種、いまむかし」次号(2月16日発行春号)は、「トウガラシ、シシトウ、ピーマン、パプリカの話」です。[2010.2.20]

追記
掲載誌『野菜だより』のバックナンバーが入手できないという声をいただいたので、ここに再録します。
現在も書店で入手できる号は掲載しませんので、お近くの書店でお買い求めください。
(2009.3.25)

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