野口種苗ロゴ

「野菜の種、いまむかし」

第六回「キュウリの話」

掲載誌『野菜だより』2009/夏号/P84,85
2009.4.16/学習研究社刊 \920.(税込)

 ナス科植物は自家受粉性なのでほとんど交雑せず、基本的な遺伝子を変えずに風土に順応した伝統野菜として土着します。しかしキュウリなどのウリ科植物は、自分の花粉を嫌う他家受粉性の虫媒花なので、異品種と交雑して絶えまなく遺伝子が変化するので、歴史的な変遷をたどるのが非常に困難です。
 昭和10年代に中国大陸に何度も渡り、植物探索を行った熊沢三郎は、大陸との比較で日本のキュウリを分類しました。それによると、当時の日本のキュウリは、有史以前に渡来した華南系と、明治以後に渡来した華北系に大きく分れ、それにロシア経由で北から入ったピクルス型キュウリとの雑種が入り交じって存在していたようです。
 現在もずんぐり大きい特異な形で残る広島県福山市の「青大」は華南系。同じずんぐり型でも金沢の「加賀太」は、華南系と華北系の雑種である「加賀節成」に、東北から導入したピクルス系と華南系の雑種をかけ合わせて固定したものと言われています。
 日本古来のキュウリであった華南系は、実の周囲のとげの先端が黒い黒イボ品種が多く、皮は硬く、苦味の出やすいキュウリでした。苦味を消すため、付根部分を折ってこすりあわせるとか、切り口を逆さに立ててしばらく置くなどという言い伝えがありました。

 キュウリは、雄花と雌花が別々に咲く植物で、雌花が実になり、雄花は無駄花として嫌がられます。雌花が親づるの葉の付け根ごとに咲く性質を節成りといい、支柱を立てて栽培するのに向いていますが、華南系はこの節成り性が強いものが多く、支柱栽培には不可欠の品種でした。しかしこの節成り性は日が長く高温になると衰えて雌花が付かなくなってしまうため、華南系の「相模半白」や埼玉の「落合節成」、「加賀節成」などは、夏までしか成らない「春キュウリ」と呼ばれていました。
 これに対して、華北系キュウリは、低温での成長力や節成り性が弱く、親づるよりも子づるや孫づるに雌花を付け、暑くなってから成り始めるため、「夏キュウリ」と呼ばれ、五月以後に直まき(余まき)して、親づるは摘芯し、子づるや孫づるを広げて地面に這わせて栽培する地這いキュウリとして定着しました。
 華北系の夏キュウリの実は、全体が緑色でイボが白く、皮が薄くて柔らかく、苦味も出ないので東京周辺で好まれ、埼玉で「霜しらず」「ときわ」などの地這い品種を生みました。うちの「奥武蔵地這」も、戦時下の満州で耐病性強く改良されたときわ系地這いです。

 低温短日下なら本葉5、6枚から雌花を付ける華南系の節成りキュウリを、高温長日になっても成り続けるように改良することは、キュウリ育種家の夢でした。華南系と華北系を様々な組み合わせでかけ合わせ、黒イボ節成りの色々な品種が試作されましたが、日本のキュウリを白イボに大きく変える切っ掛けとなったのが、前述の熊沢三郎の九州農業試験場が昭和30年に完成させた「夏節成」という固定種キュウリでした。
「夏節成」は、熊沢が中国から導入した華北系白イボの夏でもよく成り草勢が強い「四葉(スーヨー)」に、華南系黒イボの「落合節成」を四代かけ続けて(バッククロス)節成り性を取り込んだ子を母親とし、同じ「四葉」に雌花がよく付くが草勢が弱い華北系の「満州秋」を三代かけた子を父親にして得た雑種の子から選抜した三代目の一系統でした。
 最初に作付けした系統が大雨で流されてしまったため、やむなく後まきした予備系統だったそうです。偶然まかれたこの種は、遅くまで完全に節成りで、おまけに雌花しか付けない全雌性という驚くべき性質を現しました。雄花が無いため、自然界では自分の子孫を残すことができませません。しかしジベレリンという合成ホルモン処理で、雌花を雄花に変え、子孫を殖やすことができました。こうして誕生した白イボの「夏節成」を親にしたF1の子孫たちは、その後の支柱栽培用節成りキュウリを、黒イボから白イボに変えていき、昭和40年代半ばには全国のキュウリは白イボばかりになってしまいました。

 同じ頃、ビニールハウスでのキュウリ栽培が普及しました。もともと夏キュウリの白イボ節成りは、低温伸長性が弱かったため、低温伸長性の良いカボチャの台木に接木されて栽培されるようになりました。接木栽培は、狭いハウスで周年連作栽培することも可能にしました。
 ハウスで周年栽培するようになると、虫が受粉しなくても実を付ける単為結果性が求められます。この性質はイギリスの温室用キュウリから導入され、日本の多くのキュウリが種なしキュウリに変わっていきました。もしかすると雌花しか持たない「夏節成」から単為結果性を獲得していたのかもしれませんが、「夏節成」発表当時の資料からは確認できませんでした。こうして複雑な交配を重ねた結果、日本のF1キュウリからは苦味と雄花と種が消えていったのです。しかし、同時にキュウリから味が無くなり、まずくなってしまったのも事実です。

 昭和60年代になると、ブルームレスキュウリが登場します。これはキュウリの新種でなく、台木カボチャの新種です。このカボチャは、土壌中の珪酸吸収力が弱いため、キュウリが実を守るために出すロウ質の白い粉(ブルーム)を形成できません。そのためこの台木に接がれたキュウリは、つやが出て輝きました。これが当時の農薬反対の風潮と結びついて、ブルームを残留農薬と誤解した主婦たちはきれいなブルームレスキュウリに飛びつきました。
 実を守るブルームが出せなくなったキュウリは、皮を硬くして実を守ろうとします。皮を硬くするので、出荷サイズに育つには生育日数が何日も余計にかかりました。当然キュウリ農家にとっては収量減につながりますが、皮を硬くしたキュウリは、店頭の日もちが良くなり流通業者に喜ばれました。見ばえと日もち優先の社会が、まずいキュウリをさらにまずくしてしまったのです。
 現在、市場を支配する外食産業の要請で、キュウリはイボなしに変わりつつあります。イボに雑菌が付くのを防ぎ、食中毒のリスクを少なくするためです。味が変わり、形が変化したキュウリは、これからどこへ行くのでしょう? 耐病性を付けるため、キュウリの大手種苗会社が特許庁に申請中の遺伝子組み換え技術が、その答えでなければいいのですが。[2009.5.20]


追記
掲載誌『野菜だより』のバックナンバーが入手できないという声をいただいたので、ここに再録します。
現在も書店で入手できる号は掲載しませんので、お近くの書店でお買い求めください。
(2009.3.25)

〒357-0067 埼玉県飯能市小瀬戸192-1 野口のタネ/野口種苗研究所 野口 勲
Tel.042-972-2478 Fax.042-972-7701  E-mail:tanet@noguchiseed.com


タネの話あれこれTOP  野口種苗TOP