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「野菜の種、いまむかし」

第七回「ニンジンの話」

掲載誌『野菜だより』2009/盛夏号/P78,79
2009.6.16/学習研究社刊 \920.(税込)

【ニンジンの話】
 種苗会社のニンジン担当者の話だと、日本人の三分の一が「ニンジン嫌い」で、三分の一が「ニンジン好き」、残り三分の一が「好きでも嫌いでもないが、からだに良いから食べている」という調査結果があるそうだ。
 ニンジン嫌いの理由は、その独特の匂い、いわゆる「ニンジン臭」であることがはっきりしている。「薬臭い」とも言われるニンジン臭とは何か。そしてそれは品種の変遷とどんな関係があるのだろう。
 まずニンジン臭の原因物質だが、「これはイソ酢酸やハルミチン酸などの酸、酢酸エステルなどのエステル、ダウコールやキャロトールのようなアルコール、ピロリジンやダウシンなどの含窒素化合物、そしてアサロンなどのケトン等々、多数の含有物によって複合的に生み出されるものである」(大場秀章『サラダ野菜の博物史』)うーん。これでは何もわからない。逆に「ニンジンの匂いはカロチンの匂いである」(『江澤正平さんの野菜術』)と簡単に言い切っている本もある。だとしたら、カロテン含量が多いというのを売りにしたF1品種は、匂いも強いのだろうか?
 ニンジンの原産地、中央アジアのアフガニスタンやパキスタンで野生種のニンジン(ヒンズークシ山脈の北では黄色で、南では濃い赤紫色だという)をかじったり、旬の一月に現地の市場で求め、日本に持ち帰って会合で食べてもらった池部誠は、おいしさに全員が感激し、「これならニンジン嫌いの子供も食べる。と言い出すお母さんもいた」(『野菜探検隊アジア大陸縦横無尽』)と言うから、原産地のニンジンには、嫌なニンジン臭は無かったのだ。
 ニンジンは、中央アジアを征服した元の時代(1280〜1367)初期に中国に伝わり、やがて日本に伝来した。江戸時代の医師貝原益軒は『菜譜』(1704)に「菜中第一の美味なり。性また最もよし」と書いており、最初に日本に渡来したニンジンには、やはり臭みが無かったことがわかる。
 甘く美味しかった江戸時代のニンジンは、アフガン同様夏まきして冬しか収穫できなかった。現在では関西のお正月の煮物用に欠かせない『金時人参』や、沖縄の『島人参』のような長さ30〜40cmの短かめの長ニンジンに、原産地ゆずりの色や形をとどめている。(金時人参の赤紫色の色素はリコピンで、黄色い島人参はキサントフィル色素。最近の研究では、現代主流のオレンジ色ニンジンの色素のカロテンより、リコピンのほうが抗酸化効果が高いことがわかっている)
 アフガニスタンから西に針路をとったニンジンは、10世紀頃トルコに渡り、多様に変化して二次原産地を形成し、やがてスペイン(12世紀)、イタリア(13世紀)、フランス、ドイツ、オランダ(14世紀)、イギリス(15世紀)に伝わり、16世紀には全ヨーロッパに広まった。最初はヨーロッパでも赤紫色の長ニンジンが甘くて好まれたが、15世紀にオランダにオレンジ色のニンジンが登場すると、たちまちヨーロッパ全土に広まった。夏涼しいオランダで改良されたオレンジ色のニンジンは、春まきしてもトウ立ちせず、周年栽培できたためで、こうしてオレンジ色の西洋系カロテンニンジンが誕生した。カロテンニンジンは、ニンジン臭が強いことで知られる長ニンジンの『ロング・オレンジ』や、球形に近い『アーリー・ショート・ホーン』、現在主流の五寸ニンジンの祖『チャンテネー』など様々な形に別れ、フランスのヴィルモラン等の育種家の手によって、多彩な品種に育っていった。そして明治の文明開化とともに日本各地に導入された。
 ニンジンの花は、白い小さな花が傘状に集まった形をしています。この小さな花は、まず雄しべが先に熟して、雌しべが熟すのは数日後です。自家受精という近親婚を避けるためのタイムラグですが、この他家受粉を好む性質は、既存品種とどんどん交雑し、遺伝子を変異させて、かつての系統を維持しにくくしました。日本に元からあった東洋系ニンジンの夏まき在来種は、冬に収穫せず春以降も畑に置いておくと開花し種が採れるのですが、春まきで夏収穫できる西洋系ニンジンも、秋に植え替えて冬を越すと夏まき種と同じ頃に開花します。そして開花した花の遺伝子は混じりあい、東洋種は西洋種の中に取り込まれてしまいました。こうして江戸野菜の代表だった『滝野川大長人参』は、ロング・オレンジと混血して『東京大長人参』になり、やはりロング・オレンジと滝野川の混血で群馬で固定された春まきできる『国分(こくぶ)大長人参』に全てのシェアを奪われて消えてなくなってしまいました。(どうもこの頃からニンジン臭が出てきたように思われますが、どうでしょう?)
 戦後全盛を極めた国分大長人参も昭和30年代には短い五寸人参に取って代わられ、その五寸人参も、1964(昭和39)年の『F1向陽』登場以後、話題になる新品種はF1(一代雑種)ばかりになってしまいました。「ニンジン臭が消えたのはF1になったからだ」という人がいますが、そうでないことは今も残る純系の金時人参が証明しています。それより、花粉が異常で子孫を作れない雄性不稔個体ばかりのF1ニンジンからは、臭みだけでなく香りも、ニンジン本来の旨味も消えてしまったように感じるのは、私だけでしょうか。
 現在うちで販売している固定種ニンジンは、『真紅(しんべに)金時人参』『沖縄島人参』のほかには、『国分大長人参』や『春蒔五寸人参』『黒田五寸人参』『子安三寸人参』『ピッコロ人参』『ラブリーキャロット』などの春まきできるニンジンと、夏まき専用の『万福寺大長人参』『スーパー一尺人参』『碧南(へきなん)五寸人参』『紅福越冬五寸人参』『冬越黒田五寸人参』などと、播種期の違いで大きく二つに分けていますが、どれも西洋系のニンジンで、東用系ニンジンの血が多少濃いものは、春まくと抽苔しやすいため、夏まきに分類しているのに過ぎません。(東洋系の血が濃いほうがニンジン臭が少ないという傾向はあります)[2009.5.20記] 

『野菜だより』連載「野菜の種、いまむかし」次号(8月17日発行秋号)は、「ハクサイの話」の予定です。[2009.6.16]


追記
掲載誌『野菜だより』のバックナンバーが入手できないという声をいただいたので、ここに再録します。
現在も書店で入手できる号は掲載しませんので、お近くの書店でお買い求めください。
(2009.3.25)

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