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守りたい地方野菜と食文化

−固定種の復活を夢見て−

2006年3月4日(土)、表題の趣旨で依頼された、東京・四谷三丁目の不動産会館で行った山崎農業研究所の第120回
定例研究会の講演で用意したレジュメです。
当日、A4用紙一枚の両面にコピーして参加者にお配りしましたが、うっかりして1ページ目の最後の1行を脱落させ
ておりました。
そのため、ここに改めて全文を掲載し、事務局の方にお詫びいたします。


はじめに

 固定種の種が種苗店の店頭から姿を消して、もう3,40年になります。今では、スーパーや八百屋の店先に並ぶ野菜は、
ほとんどF1で占められ、家庭菜園用の小袋も、F1ばかりが並ぶようになってしまいました。
 F1は、均一で揃いがよいので、指定産地の共選で秀品率が高く歩留まりがいい。従って、共選を進める産地JAでは、
常に最新F1品種の検討が欠かせません。当然、種苗メーカーも、産地の指定品種に選ばれるために切磋琢磨しています。
いったん市場に受け入れられると、大産地を自社品種で支配できるし、ブランド化して全国シェアも高まるのですから、
極めて当然の話です。
 反面、農業人口の高齢化と後継者不足、また流通の進歩によって、外国からの輸入野菜が市場に氾濫するようにもな
りました。F1化し、規格が単純化した日本市場は、近隣諸国にとって格好のターゲットになったからで、使われている
種は、どれもみな日本の種苗メーカーが日本の大手市場向けに育成し、輸出したF1なわけですが、これも、当然といえ
ば当然すぎる話です。
 現在、スーパーの店先に並ぶ野菜は、国産と銘打っているものが圧倒的です。では、年々輸入量が増加している外国
野菜は、どこで消費されているのでしょう? これも当然、業務用、外食産業です。今や外食産業は、大型化した市場
の、最大の顧客なのです。どこの国内産地も、外国産地も、外食産業のニ−ズに合わせた品種の選定が必須条件になっ
ているのです。
 種苗メーカーや、産地指導にあたる農業試験場の人の話によると、今、外食産業の要求は、「味付けは我々がやるか
ら、味の無い野菜を作ってくれ。また、ゴミが出ず、菌体量の少ない野菜を供給してくれ」と言うものだそうです。こ
うして、世の中に流通する野菜は、どんどん味気無くなり、機械調理に適した外観ばかりの食材に変化しているわけで
す。
 こんな状況の中で、数少ない本物指向の消費者、昔の美味しかった野菜の味が忘れられない高齢者の方々に支持され、
消滅した地方市場に代わって台頭した「道の駅」などの直売場で人気を高めつつあるのが、地方の伝統野菜というわけ
です。

1.地方ブランド野菜について


 京野菜を筆頭に、加賀野菜、浪花野菜、愛知野菜、福井野菜など、昔の伝統野菜を掘り起こし、地域ブランドとして
育てようという動きが、全国に広がっています。元来は全国各地の種苗店が、土地の野菜を選抜育成し、維持して来た
品種だったはずですが、種苗店の産地向け主力販売商品が、メーカー推薦の最新F1野菜へと変わっていった結果、地元
でさえ売れなくなった固定種の採種を続けている種苗店は、年々減少の一途です。そのため、各県の農林部などが地元
農家で自家採種してきた品種を探し出し、交雑して変化した個体を取り除いて、再び伝統形質の固定化を図っている例
が多いようです。そればかりか、地方野菜の産地形成に熱心な農業試験場などでは、F1栽培に慣れた農家の求めに応じ
て、均一で成長が早く周年栽培できるよう改良したり、形だけ伝統野菜の形を残し、味は現在の消費者の好みに合わせ
ようとしたF1地方野菜なども誕生しています。F1化し大味になった地方野菜を、伝統野菜と称していいかどうか非常に
疑問ですが、生産効率で農家に喜ばれ、味を知らずまして昔の調理法も知らない消費者に、くせが無く特異な形が喜ば
れていると聞けば、さもありなんと認めざるを得ません。有名ブランドとなった地方野菜の権利を独占するため、商標
登録を取ったり、種苗の県外販売を禁じたりする動きとともに、今後の大きな課題でしょう。

2.固定種であってこその地方野菜


 野沢菜の元が天王寺カブだったというのは有名過ぎる話ですが、このように野菜が旅をして変化していった例は、新
潟のヤキナスの元が宮崎の佐土原ナスだったり、山形の庄内ダダ茶豆は藩主の移封によって新潟から運ばれたものだと
いう話など、枚挙に暇がありません。と、言うより、もともと地方野菜とは、よそから伝播してその地の気候風土に馴
化した野菜ばかりなのだから当然です。自分で種採りしてみるとよくわかりますが、植物が異なった環境に適応し、生
育して、土地に合った子孫を残そうとする力は、真に偉大としか言い様がありません。よくできた野菜を選抜し、種採
りを続ければ、普通三年も経てばその地やその人の栽培方法に合った野菜に変化していきます。もし土地に以前からあ
った野菜と交雑したりしてもそれはそれで、八年も選抜していると、雑種形質が固定して、その土地に新しい地方野菜
が誕生したりします。これこそ人間が移動手段を提供したために、旅をしながら遺伝子を変化させ続けて来た、野菜本
来の生命力の発露なのです。生命にとって進化は自然であり、停滞は生命力の喪失です。変化を失った生命は、既に生
命とは言えないのです。気候風土や遭遇する病虫害に合わせ、己自身のうちなる遺伝子に変化を促し続けて来た地方野
菜こそ、生命力を漲らせた、野菜本来の姿なのです。
 はじめに触れたように、1960年頃までは、販売され生産される野菜のほとんどの種は、固定種でした。固定種という
のは、味や形など形質が固定され、品種として独立していると認められる種のことで、農家が自家採種したけれど、交
雑などで雑駁になった雑種と区別するための種苗業界の用語で、言わば種屋の自慢の種のことです。F1の時代になって
からは、複数の親をかけ合わせたF1に比べ、固定した単独の親しか持たないため、業界では単に「単種」と呼ばれるこ
ともあります。英語では「OP=open pollinated seed」つまり自然に受粉した種と呼ばれることが多いようですが、雑
駁化を嫌い、品種としての純度を高めた意味合いを持つ「固定種」という言葉に、今はこだわっていたいと思います。

3.育種はF1から遺伝子組み替えへ


 複数の親をかけ合わせて作るF1作りには、花の構造の違いにより、複数の手法がありますが、根本はひとつ。どうし
たら同系統の品種の花粉では受粉せず、異なる系統の花粉によって受粉させることができるかという技術です。つまり、
同系統の雄しべを雌しべから取り除く「除雄」という操作か、さもなくば、雄しべの花粉の力を無力にする、自家不和
合性や雄性不稔といった、生命が本来持っている生殖能力を失わせる技術です。
 開花前の蕾を開き、雄しべを取り除く人工交配技術は、最も原始的な方法で、戦前(1924)の日本で、ナスによって初
めて成功したのが、世界初のF1野菜でした。日本では続けて西瓜、胡瓜、トマトなどで人工交配技術を確立し、同じ頃
アメリカでは、トウモロコシの雄花を開花前に刈り取り、近くに必要な雄花の品種を植えておくという、風媒花の特性
を生かした人工交配が行われていました。
 やがて日本ではアブラナ科野菜が持つ自家不和合性という性質を利用した交配技術が確立し、アメリカでは、細胞質
雄性不稔というミトコンドリア内の遺伝子の欠陥を利用した交配技術が生まれました。
 雄性不稔という生殖能力に欠陥がある個体を使ったF1作りは、その後人参、玉葱などに拡大し、今では日本のお家芸
だった自家不和合性利用に代わって、アブラナ科の大根などにまで拡大し、F1野菜採種技術の基本となりつつあります。
経済効率が最も高いというのがその理由ですが、反面インポや無精子症に相当する親や、その性質を維持するのに必要
な系統を見つけるのに偶然に頼るほか無いのを嫌い、最近は遺伝子組み換えで他の植物の雄性不稔因子を組み込もうと
する動きもあります。
 遺伝子組み換え植物で現在実用化されているものには、トウモロコシ、菜種、大豆、綿などがありますが、このうち
大豆は、もともと日本からアメリカに渡り家畜用飼料として広まった植物、また菜種は油糧作物ですが、英語でRapeseed
と言い、もともと菜っぱのない欧米では、野菜として食用に使っていなかった植物です。これらが日本に大量に輸入さ
れ、日本の地方野菜の代表格である菜っぱやカブなどを文字通りレイプしようとしているという今の状況は、まさに慨
嘆に耐えません。そのうち、遺伝子組み換え植物との交雑によって、日本の地方野菜が消滅せざるを得なくなるかも知
れないのですから。

おわりに


 野菜が、本来持っていた生命力を取り戻し、地方の食文化と結びついていた本来の味を取り戻すためには、固定種を
復活させるしか方法がありません。そのためには、F1の氾濫で農村から失われてしまった自家採種技術を、再び農村に
復活させる必要があります。
 昨年、東京農大通りの古書店で、『農業世界増刊 蔬菜改良案内』という明治44年8月刊の雑誌を入手しました。明治
という時代に、セロリやコールラビ、アーティチョーク、食用タンポポやエンサイなどの栽培法が紹介されているのに
も驚きましたが、野菜ごとに、「種類」「性質」「栽培法」「促成法」「病虫害」「貯蔵法」などの項目と並んで、種
子繁殖の植物にはほとんど「採収法」として種の採り方が載っていたのには、本当にびっくりしました。『蔬菜改良案
内』という書名の通り、かつて野菜栽培というのは、ただ種を蒔いて収穫するだけでなく、自家採種して品種改良して
いくことまですべて含んでいたのだということが、何にもましてよくわかりました。
 当店のオリジナル絵袋も、「採種法」という項目を入れて、栽培する人が自家採種しやすいよう手助けをしています。
家庭菜園を楽しむということは、スーパーで売っているような見栄えの良い野菜を、ただ家計の足しに作ることでなく、
野菜本来の味を楽しみながら自家採種して野菜の進化の手助けをし、地方野菜を育んで地域起こしの一助にもなる。と、
そんな人が増え、新しい地方野菜が各地に再び生まれる。そんな日がやがて来ることを、今、毎日夢見ています。

[MEMO]
3月4日午後1時半から5時半までの研究会終了後、近くの居酒屋での懇親会にお誘いいただき、所長の安富六郎先生(東京農工大学名誉教授)
を筆頭に、何人もの農学博士や地方の研究者、会員の方々、と、ひざ突き合わせて親しくお話しする機会を持つことができました。
驚いたのは「今日の内容を季刊誌『耕』に書かなくてはならないのだけれど、難しい用語が多くて困った。F1とか固定種ってなんですか?」と、
安富先生に聞かれたことでした。農業土木がご専門だそうですが、農大の先生が種のことをまったくご存じないとは、思ってもみませんでした。
「そう言えば、学生の頃、『雑種強勢』なんて習ったなぁ」と呟かれたのは、作物学の権威の石原邦先生(やはり東京農工大学名誉教授)でした。
「今は、近縁種どうしのかけ合わせも多く、雑種強勢を起こさなくても、揃いの良さだけを目標にしたF1も多いのです」と、申し上げました。
実は最初の自己紹介で、「野口種苗研究所なんて研究機関のような商号を付けてますが、単に発芽試験器を作って売るために、父が付けた名で、
実体は小さなただの種屋です」と正直に申し上げたのですが、「研究所でいいですよ。いいお話でした」とおっしゃってくださったのも石原先生
でした。人工的になり過ぎた種子に異論を挟む僕の主張に、お墨付を与えていただいたとも受け取れるこのお言葉には、心底勇気づけられました。
諸先生方、これからも固定種の種を絶やさぬよう微力ながら努めますので、自然の野菜が再び元気を取り戻すよう、ご尽力をお願い申し上げます。
[2006.3.5]


〒357-0038 埼玉県飯能市仲町8-16 野口のタネ/野口種苗研究所 野口 勲
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