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固定種を守る取り組みを広げるために/野口 勲(東京保険医協会『診療研究』509号)


 私の店は、日本でただ一軒の固定種(在来種)専門のタネ屋です。
 全国各地のタネ屋から、それぞれの地域に伝わる固定種のタネだけを取り寄せ、インターネットのオンラインショップで、通信販売しています。
 1950年代まで、世界中の野菜や穀物、草花など、すべての植物のタネが、先祖代々それぞれの地域で受け継がれ、形質や品種名が固定された、固定種のタネでした。両親の系統が単一なので、種苗業界では「単種」とも言います。自家採種しても同じ植物が生まれるタネで、英語ではtrue breedですが、タネ屋のカタログでは、OP(Open pollinated seed)と表記され、自然界の虫や風に受粉を任せているタネという意味です。まあ簡単に言えば「自然のままのタネ」です。
 これに対し、現在国内で流通しているほとんどのタネが、人為的に交配した異品種間の雑種(hybrid)で、F1(first filial generation=一代雑種)とか、交配種と表記されます。
 生物は、雑種になると、両親より成長が早まったり、大柄になったりする雑種強勢(heterosis)という力が働きます。これにより同じハウスで年に何回も栽培でき、大量生産が可能になります。また、メンデルの法則で、雑種の一代目の子は、両親のさまざまな対立遺伝子の中の優性形質だけが現れて、劣性形質は隠れてしまうため、できた野菜がみんな同じ形に揃います。この均一性は、箱詰や、店頭で同じ価格で販売するのに便利です。このため日本中の産地から出荷される野菜は、大量生産、大量消費に向いた、まるで工業製品のような食材になりました。
 いま国内のホームセンターやタネ屋で売っているタネや苗のほとんどがF1品種になっていますが、私がこうした大勢に背を向けて、時代遅れの固定種を専門に扱うようになったのには、二つの理由があります。
 一つは、固定種からできた野菜のほうが、おいしいからです。
 タネ屋の手伝いを始めた1970年代、私は父の命令で、全国原種審査会というタネのコンクールに出席しました。「金町小かぶ」というカブのタネのコンクールで、農業試験場の畑を借り、全国のタネ屋が出品したカブのタネを蒔いて、できたカブを比較して審査するのですが、父が出品した固定種の「みやま小かぶ」は、選外でした。入賞したのは全部F1品種で、私はその揃いの良さに目をみはりました。しかし、本当に驚いたのは、審査会終了後でした。出品した種苗会社のカブの専門家たち全員が、唯一出品されていた固定種の「みやま小かぶ」を、自分で食べるために持ち帰ったのです。
「F1のカブなんて、まずくて食えたもんじゃないからな」と、口々に言いながら・・。
 固定種の一粒々々のタネには多様性がありますから、同じ品種のカブでも生育にはばらつきがあります。早く成長したカブを収穫すると、空いた地面でのんびり育ったブが遅く収穫できます。一度タネ蒔きすると、長い間収穫できるため、固定種は家庭菜園に向いています。早く一斉に収穫したいプロの農家の選択肢からは外れますが、おいしいからこそ先祖代々受け継がれてきた、肉質緻密で歯切れがよくて甘い、本物のカブの味を味わうことができるのです。
 成長が早まる雑種強勢は、血筋が遠いほど強く働きますから、日本のカブ同士をかけ合わせたのではあまり働きません。そこで、この頃のF1のカブは、固定種の時代に何度も農林大臣賞を受賞していた「みやま小かぶ」に、ヨーロッパの家畜用のカブをかけ合わせて生み出されていました。成長を早めても形が崩れないよう、わざわざ固く、まずくしていたのです。
 私が固定種にこだわるもう一つの理由は、F1の安全性に疑問を持っているからです。
 F1は雑種ですから、異品種同士を毎年かけ合わせて、新しいタネを生産し続ける必要があります。植物のほとんどは雌雄同体ですから、花の中には雄しべと雌しべがあります。自分の雄しべの花粉で雌しべが受粉(自家受粉)してしまうと、雑種になりませんから、雌しべが成熟する前に、雄しべをすべて取り除きます。(これを「除雄」と言います)しかし広い採種畑で、大量に栽培されている植物の、すべての母親役の株から、開花前の蕾を開いて、雄しべを取り除くのは、莫大な手間がかかります。そこで現在は、雄性不稔性(male sterility)という、雄しべがないか、雄しべがあっても葯がないか、葯があっても花粉がないか、花粉があっても受粉させる能力がないという、人間で言えば無精子症の個体が利用されるようになりました。
 無精子症の男性は子孫を作れませんから、その男性の血筋は絶えます。しかし雄性不稔の花の雌しべは、他品種の雄しべの花粉を受粉してタネを生みます。そして生まれたタネは、すべて雄しべのない母親と同じ雄性不稔になります。つまり雄性不稔という症状は、母から子へと、母系遺伝でその後すべての子孫に受け継がれていくのです。
 1925年にアメリカで発見された雄性不稔は、まずタマネギに応用され、1944年にF1タマネギの品種として商品化されました。以後、世界中の品種改良=F1生産=の基本技術として、欧米に広まりました。日本では、アブラナ科野菜独特のF1生産技術として、自家不和合性利用が創案されましたが、採種地が海外にシフトした結果、ガラパゴス技術と言っていい自家不和合性技術も、世界標準の雄性不稔利用に変わりつつあります。つまり、F1の種子から育った多くの野菜が、無精子症になっているのです。試しに、スーパーマーケットのニンジンやダイコンを買ったら、全部食べてしまわずに、1本だけ残して、秋に庭に植えてみて下さい。やがて冬を越して、春や初夏になると、ダイコンやニンジンの花が咲きますが、その花は、非常に高い確率で、雄しべが無いはずです。
 母系遺伝は、細胞の中のミトコンドリアが持っている遺伝子の遺伝です。本誌の読者であるお医者様方に、ミトコンドリアの由来や働きを説明するのは、それこそ釈迦に説法でしょうから、くどくど申しませんが、呼吸で取り込んだ酸素や、食べ物から得た糖質を材料にして、ATPという生命エネルギーを生み出すミトコンドリアのDNAが異常になると、ミトコンドリアの内膜に異常な蛋白質が蓄積し、これによってATP生産がうまくいかなくなると、男性機能が衰える雄性不稔の個体が誕生するのだそうです。
 自然界で偶然誕生する雄性不稔の個体は、健康な子孫を作れませんから、自然淘汰されて消えてしまいます。しかし、品種改良=F1生産=に必要とされる雄性不稔植物の個体は、人為的に無限に増殖されて、世界中の人間の食べ物になっているのです。
 砂粒1個の中に1億個入ると言われるくらい微細なミトコンドリアは、細胞1個の中に数百から数千存在し、人体のミトコンドリアを全部集めると、体重の1割に相当するそうです。この膨大な数のミトコンドリアを、動物も植物も、母親の卵子からだけ受け継いでいます。母親のミトコンドリアが異常になると、子はミトコンドリア病で、誕生することさえできません。
 私たちは幸い母親から健康なミトコンドリアを受け継いで生まれてきました。そして、誕生後に食べた多くの食べ物によって身体を作り、生殖細胞を作り、子供を産み育てています。食べ物の多くを占めるミトコンドリア異常の雄性不稔野菜を食べるようになって、まだ数十年ですが、現在世界中で精子の減少や、少子化、性欲が低下した男子の増加などが話題になっています。はたして雄性不稔になった食べ物との間に、因果関係はないのでしょうか?
 先日NHKスペシャルの「生命大躍進」という番組を観ていたところ、「動物に目ができたのは、クラゲのような腔腸動物だった祖先の頃、海中に浮遊する植物プランクトンを食べて、その葉緑体が持つ光を感知する遺伝子を生殖細胞に取り込み、子孫に伝えたからだ」という解説があり、びっくりしました。脳を持つ前の動物は、腸が脳だったそうですが、腸が変化した生殖細胞には、植物の遺伝子を取り込む力があったのでしょう。動物も植物もそんなに変わりがない生命体であることは、どちらもミトコンドリアと共生するようになった真核生物で、ミトコンドリアの力で細胞分裂が起こり、単細胞から多細胞生物になったことが証明しています。きっと動物と植物のミトコンドリアには、相互に互換性があるのでしょう。
 私の講演の中には「異常なミトコンドリアの植物を食べた動物のミトコンドリアも異常になるのではないか」という仮説があります。科学者が誰も調べていないため、証明できない仮説に止まっていますが、講演を聞いたり、私の著作を読んだ若い夫婦の中には、田舎に引越して畑を借り、生まれた子供のために、家庭菜園で固定種野菜を育て始める人が、少しずつ増えています。
 日本ではまだ絶対数が少ない貴重なお客様ですが、そのお客様に私は、
「一度タネを買ったら、二度と同じタネは買わずに、自家採種して下さい」と、お願いしています。ある土地に根を張った植物は、その土地に合った子(タネ)を生むから、自家採種を繰り返すことで、身土不二の食べ物になるからです。そして、若い夫婦の中には、新規就農を志し、固定種で育てた野菜を、ブログなどで通信販売したり、地域の直売所に出す人も生まれています。都内で講演すると、
「マンションなので家庭菜園ができない。そういう固定種のタネで育った野菜は、どこで買えるのですか」と聞かれることも多いので、
「固定種と、野菜販売でインターネット検索をすると、宅配している生産者が見つかると思います」と、答えています。しかし最近、固定種の野菜を販売している人たちに急ブレーキをかける法律が施行されたので、内心ヒヤヒヤしています。
 その法律とは、6月1日から始まる、農水省の「地理的表示法」で、これによって、地名のついた野菜の名が、その地名の産地に独占されるのではないかという危惧が生まれているのです。
「地理的表示法」とは、地域名のついた農林水産物を、他国や他地域の類似商品から守ろうという国際条約に基づいて生まれた法律で、例えば「シャンパンと名のれるのは、フランスのシャンパーニュ地方で生産された発泡ワインだけ」といった「地域ブランドを保護するための法律」です。地域の団体に限って一件9万円で期間無制限で登録でき、登録団体以外の個人がその名称を使うと、「5年以下の懲役または500万円以下の罰金」という罰則があります。
 固定種時代のタネ屋は、「本場のタネ」であることを何より自慢にしていました。ですから、タネの品種名や野菜の名称には、その野菜の「本場」と言われていた時代の地域名が、たくさん残っています。私の店で売っているダイコンのタネだけでも、練馬大根、三浦大根、亀戸大根、和歌山大根、櫻島大根、守口大根などなど、地域名だらけです。「守口大根」は、大阪府守口市で生まれた、長さ1.8mにもなり、直径2、3cmの細い漬物用ダイコンですが、大阪が都市化したため、今では岐阜や愛知で栽培されていて、粕漬けにした「守口漬」は、名古屋の名物になっています。復活を図っている守口市が、もし「守口大根」の名を申請して登録されたら、岐阜や愛知の「守口大根」は、「真性の登録産品」ではなく、「不正表示産品」にされてしまいます。団体に課される罰金は「3億円以下」ですから、岐阜や愛知のJAや漬物業界にとっては死活問題です。個人でも「独特の形が珍しくておもしろい」と、私の店から「守口大根」のタネを買い、自家採種して育てて直売している人がいますが、500万円の罰金を払うことになったら誰も栽培しなくなるでしょう。当然自家採種もされなくなり、「守口大根」という貴重な遺伝資源は、守口市で細々と受け継がれるだけで、やがて地球上から消えていってしまうのではないでしょうか。
「必ず地域名登録をするだろう」と、タネ屋仲間が一致して見ている団体に、京都JAがあります。いわずとしれた「京野菜」の生産団体ですが、現在市場に流通している「京野菜」は、どれもF1種子を使って栽培されています。
 ある日、東京の大手種苗会社の営業マンが来て、自慢げに言いました。
「ねえねえ野口さん知ってる?京都の錦小路で売っている京野菜の桂瓜ね、あれ、タネは全部ウチのF1東京大白瓜なんだよ」と。
 呆れて開いた口がふさがりませんでした。
「桂瓜」の産地は、京都市郊外の桂離宮周辺ですが、その地域の生産者が、いろいろなF1白瓜のタネを試験栽培して、昔の「桂瓜」に似ていて均一に揃い、収穫量も多い品種として選んだのでしょうが、遺伝子はまったくの別物でしょう。「桂瓜」の産地で生産したから「桂瓜」と名のっても不当表示ではないのでしょうが、タネ屋的にはこれはあくまで「桂瓜モドキ」です。
「京野菜」の固定種タネの仕入先である京都の種苗会社の社長が最近集金に来たので、この話をすると、
「長年京都で栽培され続け、京都の和食文化と共に育ち、京都の風土に適応したタネだから、京野菜だと思うんですけどね」と、苦笑していました。
 ちなみに私どもで仕入れている「桂瓜」のタネは、この京都の会社が保存している原種を徳島の採種農家に送り、他の瓜と交雑しないようにビニールハウスで採種しているそうです。
「固定種のタネなんてあまり売れないから、一軒の農家から買い上げたタネを、数年売っています。来年分もまだありますよ」とは、どこまで正直な社長さんか。
 このタネが本当の「桂瓜」のはずですが、京都JAのような団体が「京野菜」や「京水菜」や「聖護院大根」のような地域名のついた野菜の名を「地域ブランド」として登録すると、F1の「桂瓜モドキ」や「京水菜モドキ」、「聖護院大根モドキ」だけが「真性の京野菜」として流通し、昔から伝わる固定種のタネで育った「桂瓜」や「京水菜」や「聖護院大根」は、登録団体以外の団体や個人が、その名で販売することを禁じられてしまうのですから、何をかいわんやです。
 おまけに、もしかすると、固定種のタネまで販売できなくなるかもしれません。
 かつて岩手県遠野市の暮坪地区に「暮坪かぶ」という伝統野菜がありました。いや、今もあるのですが、『美味しんぼ』という漫画で取り上げられて話題になった直後、「協同組合暮坪かぶ」という、生産者が一人しかいない団体が、「暮坪かぶ」という名を、商標登録してしまったのです。これにより、「暮坪かぶ」のタネを採種して販売していた岩手の種苗会社も、そのタネを購入して直売所で販売していた他の生産者も、タネを仕入れていた私たちタネ屋も、みんな「暮坪かぶ」という名を使えなくなりました。今は「協同組合暮坪かぶ」への加入を拒否された生産者たちが、苦し紛れにつけた「遠野かぶ」という名で、タネも販売されていますが、漫画で「究極の薬味」と評判になった「暮坪かぶ」の名で売れない「遠野かぶ」というタネなど、ほとんど売れなくなりました。地域名称を独占されると、こうして伝統野菜のタネまで、日本中から消えようとしているのです。
 歴史に育まれた野菜の名は、日本の文化そのものです。野菜たちから、名前をを奪ってはいけません。
[2015.5.29記」