郷里に戻って飯能青年会議所や飯能銀座商店街に所属していると、お仲間たちから
重宝がられ、商品のネーミングや店名、看板の案などを相談されるようになった。
今でも使われているものとしては、すずき菓子店の「礫(こいし)」、清河園別館の
「蜻蛉亭(とんぼてい)」などのネーミングがある。思い出深いのは葬儀屋の看板で、
「いい場所の看板の売り込みが来たから、中身を明日までに考えてくれ。礼はさかえ
の飲み代一回分だ」という電話。「葬儀屋の看板かぁ」と驚いたが、面白そうなので
引き受けて、当時流行っていた『未知との遭遇』もどきのコピーをひねり出し、絵を
飯能に越してきた手塚治先生の元アシスタントの鈴木勝利(鳴島 生)さんに依頼した。
妙な看板だったが気に入ってくれたようで、その後も火葬場の駐車場にも建てられた。
そんなある日「バウに出ちゃったよ!」と「VOW-MEGAMIX2」を持ってやってきた。
見ると、飯能市民と思しき女性が看板の写真を投稿したらしく、1ページ大のカラー
写真に野坂昭如大先生のコメントが付け加えられている。アレマ糸井重里や川崎 徹と
並べてほめられちゃったよ。看板の中の郵便番号が3桁だけど、いつのことだったか?