[注]この商品は、フランスからの輸入が止ってしまったため、現在販売しておりません。
No.1158 人参/グリーンカラー
しろにんじん/ぐりーんからー
【品種特性】
[1]
 フランス/ビルモラン社元詰品種。白ニンジンは、昔から日本にも存在していた(下欄参照)ようだが、近年は珍しい。
[2]
 根長4,50cm。土の上に出た首部分が青首大根のように緑色になる。
[3]
 普通の人参同様、根を煮食し、葉はお浸し、和え物、天ぷら等。(人参は油と合うので白いキンピラも面白いだろう)

【栽培法】
[1]
 春まき可能か、夏まき専用かを含めて、実はよくわかりません。以下は人参一般としての基本記述です。
[2]
 覆土が多すぎても、乾燥しすぎても発芽しないので、播種は押さえて土に馴染む程度とし、土の代わりに藁、オガクズ、籾殻などで薄く覆い、発芽まで水分保持につとめる。
[3]
 発芽したら、あまり葉が茂らぬうちに早めに間引き、一本立ちとする。
[※]
 日本の通常の小袋より種の量が多めなので、一部を春まきしてみた人は、抽苔の結果を教えてください。m(_ _;)m

ニンジン豆知識

[学名]Daucus carota L. var.sativa DC.
    (carota=人参、sativa=播種)
[英名]Carrot
[仏名]Carotte
[独名]karotte
[中国名]胡羅蔔(コロポウ)
    (胡は異国の。羅蔔は大根の意)

 セリ科ニンジン属の一二年生草本。

 人参の原産地は、アフガニスタン北部山岳地帯で、現地では今も赤紫や黄、白などの金時人参に似た野生種が見られるという。

 アフガニスタンを原産地とする人参は、ペルシャ人によって東西に運ばれ、西に伝わった野生種は、トルコで亜種間交雑を起こし、現在の西洋系人参の祖先となり、15世紀には紫色の長人参がヨーロッパ一帯に薬用として広まったという。
 現在の橙黄色の短根ニンジンは、17,18世紀にオランダで、19世紀以後フランスやアメリカで品種改良によって育成され、その後世界各地に広まった。

 これに対し、東方に伝わったアフガニスタン野生種は、13世紀頃中国で夏まき野菜として栽培され、東洋系人参の祖先になる。

 日本には、16,7世紀頃、中国から東洋系長人参が入った。薬用のオタネニンジン(ウコギ科多年草。俗に朝鮮人参)に根の形が似ているため、最初セリニンジン、人参菜などと呼ばれたが「菜中第一の美味なり」(『菜譜』)と喜ばれ、短期間に全国に広まった。

 明治以後、春まきしても抽苔しにくい西洋系品種が導入され、現在市場に出回っている人参のほとんどが西洋系短根人参となっている。

 江戸時代に日本で栽培されていた東洋系長人参の根の色は赤、紫、黄、白と紹介されている(『和漢三才図会』)が、現在は赤い長人参や金時人参、黄色の沖縄島人参以外の在来種は残っていない。

 東洋系人参は、中国で夏まき栽培用として特化育成されたため、春早くまくと抽苔する。(人参はある程度育ったところで低温にあうとトウ立ちする。東洋系ではこれが比較的小さい時から起りやすい)夏まきの厳守が叫ばれるゆえんである。

 幕末以後日本に入った西洋系短根人参は、春まきしても抽苔しにくいため、長崎に入った根の非常に短い玉人参から三寸人参が生まれ、春まき早出し栽培や時無人参として周年栽培用に普及した。19世紀末フランスで誕生したチャンテネー種からは、長崎五寸などの国産五寸人参も生まれた。

 昭和30年頃まで国内で消費される人参は、長人参が優勢で、滝野川大長人参など東洋系品種ばかりでなく、西洋系品種も仏国大長人参から育成された国分人参や札幌大長人参が広く栽培されていた。

 しかし、核家族化の進行によるパック詰め販売の普及と、収穫が楽で洗浄もしやすいという労働生産性の問題から、現代は西洋系短根の五寸人参以外店頭で見ることができなくなってしまった。

 また、昨今の外食産業の隆盛は、機械調理の際ロス(生ゴミ)を極力出さないことを第一義とする時代の要求を生み、「円筒形で芯まで赤い色」という形質の均一な人参を市場に求めた。その結果、雄性不稔という突然変異株を利用した特定の一代雑種(F1)品種によって市場が支配されている。

 

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