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『現代農業』に書いたアロイトマトの原稿

『現代農業』2006年2月号(「品種大特集」)p194-195
2005年10月25日原稿依頼。11月21日Text送稿。本文は以下の通り。

 初めて「そのトマト」の話を聞いたのは、一九九九年のことでした。
「桃太郎を自家採種して、桃太郎よりおいしいトマトにした人がいる」と言うのです。
 最初は正直「そんな馬鹿な」と、思いました。
桃太郎というトマトは、F1です。それも、愛知ファーストにフロリダMH-1をかけた後代に、糖度の高いミニトマトと固定種の大玉トマトをかけた後代とをかけ合わせた、複雑な四元交配種と聞いています。普通に自家採種したら、四種類の親と、その間の多種多様な雑種が生まれて、収拾つかなくなるはずです。でも、それを作ったコックさん(育成者の奥田春男さんは、当時ホテルの支配人兼シェフをされていたそうです)は、ご自分の味覚だけを頼りに、五年の歳月をかけて、ついに桃太郎よりおいしいトマトに固定することに成功した。と、言うのです。
 実物にお目にかかったのは、二〇〇〇年の夏でした。「そのトマト」の存在を教えてくれた人の紹介で、奥田さんの会社・ポテンシャル農業研究所から「最近のおいしいF1完熟トマトの種が欲しい」との注文があり、当時まだ目新しいF1ちあき(日本園芸生産研究所/現在は販売中止)の種をお送りしたところ、やがて「確かにおいしかったけれど、うちのトマトのほうが味が良かった」と言う感想が届いたので、「信じられない」とメールしたところ、ちあきと「そのトマト」二十個ずつが箱入りで送られて来たのでした。食べ比べてうなりました。桃太郎よりおいしいはずのちあきより、ずっとずっと糖度が高く、おいしかったのです。
「このトマトだったら、お金を出して買ってもいい。いくらだか聞いて」という女房の頼みで「いくらですか?」と聞いたところ、
「うちのトマトは高いですよ。二十個一箱で五千円」との返事に二度びっくり。女房も「それじゃ買えない」と諦めました。聞くところによると、岐阜県知事がこのトマトを、お中元の贈答用に使っているとか。なるほどとうなずける味でした。
 買って食べるのは諦めましたが、その代り芽生えたのは、「このトマトの種を売りたい。普及させたい。」という種屋のサガです。
 当時はインターネットで固定種の販売を始めたばかりで、秋まきの種の目玉商品は、のらぼうやみやま小かぶなどオリジナル品種がありましたが、春まきの果菜類には、当店だけのオリジナル商品がありませんでした。
 完熟トマトの固定種なら目玉になると思い、
「販売用に種を分けてもらえないか」という不躾なお願いを聞き届けていただけたのには、現在も感謝の一語です。
「販売するからには名前を付けてください」
「タイの農場の指導から帰って来たところだから、トマトはタイ語でおいしいという意味の『アロイ』、ミニトマトのほうは甘いという意味の『ワーン』にしましょう」と決まり、インターネットの固定種販売品リストに載せたのが、二〇〇一年春からでした。
 ちょうど入荷したばかりの時、現代農業二〇〇一年二月号の私の原稿を見て訪ねて来られたのが、長崎の岩崎政利さんでした。岩崎さんがこのアロイトマトにすぐ興味を示し、最初のお客様になりました。
 今年、雲仙の岩崎さんの畑でアロイトマトから生まれた子孫は、六代目になります。
「ちょっと肥料が効き過ぎると暴れやすく、やっぱり桃太郎の系統だな、と思ったが、三年目ぐらいから岩崎流の栽培になじみ、今では岩崎トマトになった」とおっしゃいます。アロイトマトの故郷である飛騨の高山と、九州では気候が大きく違いますから、同じ有機無農薬栽培と言っても、トマトが気候や栽培方法に慣れるには三代という世代交替が必要だったのでしょう。しかし、トマトと人間との長い歴史の中では、たった三年です。わずか三年で違う気候風土に適応し、花を咲かせ、実を付け、次世代の種を結ぶ野菜の生命力は本当に凄いと感心します。
 でも、一代限りのF1桃太郎から,固定種に生まれ変わったことを一番喜んでいるのは、子孫を残し続けられる、当のトマトたちに違いありません。

一緒に送ったポテンシャル農業研究所のアロイトマトの写真


ひとりごと
送稿後、編集部から「これは注文が来ますよ」と言われたが、まさか1000以上来るとは思っていなかった。
最初の入荷分はあっという間に無くなり、以後も大変なことになったのでした。(2006.10.5)

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